特別エッセイ 「ヴァイオリニストの痛みとリハビリの日記」

特別エッセイ 「ヴァイオリニストの痛みとリハビリの日記」

はじめに

これから、「ヴァイオリニストの痛みとリハビリの日記」と題した、少し長いお話を読んで頂くことになるでしょう。

先の見えない、長いトンネルのお話です。

私は、2013年頃から、常に不安を抱えながら、時には絶望に打ちのめされながらも、舞台の上では平気な顔をして過ごしてきました。

いつかまた、痛みを気にすることなく、ヴァイオリンを弾ける日が来るのだろうか。

それとも、私はこのままどんどん弾けなくなってしまうのか・・・

一人のヴァイオリニストが、気付かぬうちに少しずつ弾けなくなっていき、弾ける振りを続けながら段々と崖っぷちに追い込まれ、そして、なんとかそこから脱却しようともがいた記録です。

これを書こうと思った理由は2つあります。

ひとつは、トンネルを歩く中で、変わらず応援してくださっていた皆さま、心配しながら応援してくださっていた方々、色々な形でサポートを続けて下さった皆さまへの感謝を、これを書くことによって少しでも伝えられたら・・・と思ったこと。

正直にお話することによって、これからの前進への覚悟もお伝えしたかった。

ふたつ目は、細かい状況は違ったとしても、何かにぶつかって不安な想いをしている、音楽家を含めた色々な方が、この文章を見つけて、何かを感じてくれたら、という想いです。

実際に私も、悩んでいた間、たくさんの方々の文章を目にして参考にしたり、元気になったり。その一つ一つが、私を前に進ませてくれました。その方々への感謝とともに、自分の体験も誰かへの励ましになれば・・・と思いました。

今まで、手や肩などの調子が悪いことを全面的に隠していた訳ではありません。

今から約8年前のブログには、初めて手が痛くなった時のこと、そして、初めて、決まっていた本番を辞退させていただいたことを書いています。ひどくご迷惑をかけてしまった方々への、お詫びの気持ちで掲載しました。

しかしその後は、自分の体と相談しながら演奏を続けていく中で、お伝えしなければいけない方にはその都度お話してきましたが、積極的にお話することは避け、ブログやSNSにも書かないようにしていました。

でも、上のような理由で思い立ち、私の辿ってきた道を残そうと、書き始めました。

すべては、ここから前に進むために。

感謝の気持ちとともに。

2022年1月

1.「兆候」「違和感」「異変」・・・2013年まで

覚えている一番最初の「兆候」は、2013年3月、コンサートの準備中でした。

リハーサルで、ピアノトリオなどを一生懸命弾いた後、左腕がものすごく怠く、動かなくなりました。

​その後何日もまともに弾けなくなり、次のリハーサルも、当日のゲネプロ(舞台練習)も、「そーっと」指を押さえて弾くような感じ(まともに弾いたらもっと痛くなってしまうだろうから、手加減して弾くしかない状況)。

でも、本番はまぁまぁの力を出せたので、ホッとしました。

​・

私の場合、学生時代は毎日長時間練習をしていましたが、社会人になってからは圧倒的に練習時間が減っていたので、「筋力が落ちているんだろうな・・・」とは思ったのですが、特にその対策をするわけでもなく、少し休めば腕は元に戻ったので、そのまま時を過ごしてしまいました。

​「兆候」が「異変」となったのは突然。同じ年の5月のある日でした。

その日は午前から学校へ行き、生徒さんが来る前にひと練習しようと、レッスン室に入りました。

季節の変わり目で少し疲れが出ていたのは自覚していましたが、何故かその日は結構やる気があって。

ちょっとくらい疲れている方が「頑張ろう」という気になるってこと、あるじゃないですか。疲労感と達成感を混同するというか。

​・

その日に使っていたレッスン室は、少し広めのお部屋でした。広いということは、暖房が効きにくいのです。

そもそも、もう5月だったので、外はそれ程寒くない季節だったのですが、建物の中(日光が届かない北側)は、1シーズン前の気温で止まっています。暖房設備も古いままだったので効きが悪く(今は改善されましたが)、まぁまぁ薄寒い気温でした。

そんな中私は、突然シベリウスのヴァイオリン協奏曲を練習し始めました(わりと難しい曲です)。ウォームアップもせずに。

10分くらい弾いたところで、少し首に異変を感じました。

でも、ちょっとくらい首が痛くたって、弾き続けます。少しぐらい痛くなった方が、練習した満足感が得られることって、あるじゃないですか。

さらに10分くらい弾いたところで時間切れ。生徒が来ました。

さて、レッスンを始めようとしたら…、

さっきの首の違和感が広がって、痛みになっていました。

それは、その後数時間のうちに首から肩の方へ広がっていき、夕方家に帰る頃には、首がほとんど動きません。

それでも私は、その日のうちにもう少し練習したくて、もう少し弾きました。

さすがに少しして「今日はもうやめた方がいいかもしれない」と気付いてやめたのですが、首から始まった異常は広がり、すっかり腕が上がらなくなってしまいました。

​・

​ここまで、違和感を感じてから、まだ半日しか経っていません。

この急激な悪化は何?と、それまでにない不安を感じましたが、一晩寝たら治るかな?という淡い期待も持っていました。

しかし、数日が経っても首は回らず、腕も上がらず。

​・

​元々我が家は、整体や鍼治療によく行きます。

その時も、行ってみたとは思いますが、あまりスッキリとは治りませんでした。

なので、心配なのでとりあえず練習はしないでおく。

​そうこうするうちに時が経ち、次の演奏会が近づいてきて、リハーサルが始りました。リハーサルには行ったものの、痛みが気になってちゃんと弾けません。でも、「本番までには何とかするから。本番は大丈夫」と言っていた私。

確かにね、本番ってアドレナリンが出るので、痛くても急に感じなくなったりするんですよ。火事場の馬鹿力。

しかし結局、その時のコンサートは別の理由で公演中止となりました。

それは偶然で突然の出来事でしたが、私にとっても他のメンバーにとっても、結果的には最善となったと思います。

さて、目の前の懸案事項は消えましたが、1ヶ月以上経ってもあまり良くならず、今度は段々と前腕〜手や指が痛くなってきました。

この頃は確か7月。この年の11月には2年に一度の自主リサイタルを控えていました。

リサイタルのことを考えると少々不安になり、ちょうど友人の勧めもあり、手の外科の名医であるA先生のもとへ行ってみることにしました。

2.1人目の、スペシャル・ドクター

通常、整形外科へ行くと「使いすぎて痛みが出たのなら、安静に」と言われますが、A先生は、安静にしていたら仕事にならない演奏家のことを理解し、「弾きながら治す」ことを目指しておられます。

徹底的に消炎鎮痛剤で炎症を抑え、必要とあらばステロイド注射を打つ。口頭でのストレッチ指導もあり。

初診察の日、「ここと、ここが痛いです…」と言うと、早速2本のステロイド注射を打つことになりました。実は、初日から注射を打たれるとは思っていなかったので(治しに行っているのに、おかしな話ですが)心の準備がなく、少しドキドキしてしまいましたが、注射は効きました。

では、それで一件落着だったのか?というと、違うのです。

その次にどこが痛くなったか・・・など、細かい事はもう覚えていないのですが、要するに「ここが良くなったら、次はここ…」と、無限のループに突入してしまいました。

そのループから離脱するためには、注射を打つ以外にも何かが必要だ・・・ということは何となく気づきましたが、どうしたらよいか分からず、結局A先生の外来の常連となっていきました。

医師に診てもらうことは大事ですし、音楽家の手を無数に診ている先生に頼ることは必要だったと思いますが、そこで100%元に戻ると思ってはいけなかったと、今となっては思います。

でも、医者に行っているから大丈夫、いつか元通りになるだろう・・・と思ってしまうのも、仕方のないことではありませんか。

​・

注射をすれば、問題の箇所は一時的に痛くなくなります。でも、痛みが軽減して一時的に「よくなった」隣で、違う部位が痛みを出してくる・・・。その痛みを気にしながら弾くので、また別の部位が痛くなったり、最初の痛みがぶり返したり。

一時的に1つを解決しても、全部は解決しなかったのです。

今になれば冷静に状況を分析することが出来ますが、その当時は、本当にどうすればよいのか分からず、だましだまし注射を打ちながら、悶々と悩んでいました。

3.2人目の、スペシャル・ドクター

B先生のお名前は、実はA先生にかかる前から存じ上げていたのですが、A先生の方が行きやすかったため、後回しになっていました。友人が行ったことが後押しとなりました。

初めての診察の日は、とりあえず話を聞きに、そしてどんな先生なのか様子を見たいと思って出かけました。なので、その日に注射はしませんでしたが、そこでB先生に言われたことは、なかなかの衝撃でした。

A先生が打つステロイド注射の薬の種類は、いつもケナコルトというお薬でした。

おそらく一般的に、腱鞘炎等に対してはケナコルトを使用する整形外科が多いと思います。

しかしB先生は、

「ケナコルトはよく効くけれど、組織を破壊する。音楽家の手は代わりが無いのだから、絶対に打っちゃいけない薬だ。

うちのお薬は、同じステロイド剤だけれど、もっと体に優しいステロイドです。もうケナコルトを手に打っちゃだめだよ」

確かに。

ケナコルトはわりと強いステロイドだということは知っていました。何回も打った実感として、皮膚が白くなる=きっと皮膚が薄くなっているんだろうなぁ、体に悪そうだなぁ、とも思っていました。

「組織を破壊する」「音楽家の手には代わりがない」「ケナコルトは絶対にだめ」

そう言われたことで、B先生への信頼感が芽生え、ここからはB先生のところに通うことになります。

「優しいステロイド」というのが、具体的には一体なんというお薬なのかは教えてはくれなかったのですが、もう、先生の言葉を信じるしかないではないですか。

ステロイドであることは変わらないのだから、継続して使えば良いことは絶対にないのだろうし、注射をするのがA先生からB先生に変わっただけで、状況は変わりません。

でも「ケナコルトを打つよりは…」

​・

B先生のところに通うようになり、次第に頻度が月1回から3週間に1回へ、本番が近ければ2週に1回、いや、毎週行くことも…となり、B先生がいないと演奏が続けられなくなっていきました。

もちろん、「優しいステロイド」だろうが何だろうが、いずれは注射をやめたかったわけですが、その為には、なぜ痛くなってしまうのかをきちんと解明し、痛くならないようにしていくサイクルを作らなければいけません。

それに、明らかに私は、どこかに手術を必要とするような状態ではないらしいということは、A、B、両先生の様子からわかります。

だからこそ「なぜ痛くなってしまうのか」「この痛みはなぜ起こっていて、それを起こさない為には何を改善すればよいのか」ということを、私は一番知りたかった訳ですが、どうしたらその答えに辿り着けるのか、わからないまま時が過ぎていきました。

​・

注射に通う一方で、鍼治療や整体にも、良いと聞けば新しいところに足を運んだりして、何か解決の糸口が見つからないか、探る日々。

そんな中、頑張ったのは筋トレです。

4.加圧トレーニング

そもそも、筋力が弱ってしまっていたのに「以前と同じように弾けるつもり」で無理をしたところからオーバーワークとなり、徐々に不調が広がってしまったのだろう、とは思っていました。

それなのに、痛みが出てしまってからは、「これ以上痛くなると嫌だから、用心して弾かない」という期間が増え、ますます筋力が低下。悪循環に陥っているのも感じていました。

なので、「筋肉をつけよう」。

筋トレって、スイッチが入ると結構いけるものです。

それがまた新たな悲劇を生むということまでは、想像が出来ませんでした。

私が加圧トレーニングを初めてやったのは、痛みに悩み始めるよりもずっと前、2010年前後のことで、一番最初に加圧トレーニングがブームになった頃です。

しかし、2年半程でやめてからは、あまり運動をしていませんでした。

2017年の5月(「異変」から4年後)、再び加圧トレーニングを開始することになりました。

トレーナーさんに自分の状況をお話しし、すぐに手指が痛くなってしまうことなどを相談したところ、「痛めにくい体になるためには鍛えたほうがいい」「筋肉は天然のサポーター」とのお言葉に勇気をいただきました。

楽しく通い始めたのですが、やはり途中で本番があったりすると、本番前は筋肉痛になりたくないのでお休みしたり。それで結局1ヶ月位お休みしてしまったことも何度かあり、いくら頑張っても、ブランクが多くてはなかなか成果が出ないな…と思い始めました。

そこで、加圧ベルトを自分で購入して(トレーナーさんから買って、使い方の講習を受けます)、日々のトレーニングを自分でやることにしたのです。月に1回はトレーナーさんに見てもらって、改善点などチェックしてもらう、という事を賛同してもらい、その方法で進めることになりました。

月に一度のチェック日、私が頑張って課題をこなして行くと、負荷を上げられます。ダンベルの重量が1.5キロから2キロへ、スクワットの回数は20回から30回へ、そして、ジャンプスクワットへ・・・。プランクも褒められました。

褒められると頑張る、褒められたいから頑張る・・・そうやって、小さい頃ヴァイオリンをやって来たわけじゃないですか。

褒められるとうれしいので自主トレを頑張ります。

生まれて初めて、トレーニングによってちゃんと体が変わっていく、ということを体感しました。それ以前は、加圧スタジオに通っても、そこまで体が変わったことがなかったので(甘っちょろかっただけです)、感動しました。

筋量も増えたし、体脂肪は落ちて、体重も低めキープ。

・・・あれ?でも、体脂肪を減らすのが目的ではなかったですよね?

目的って、なんでしたっけ?

スイッチが入ると夢中になってしまって、時に本来の目的を忘れてしまいます。

本来の目的「痛めない体を作る」は出来てきたのかな??

んー、まだ手は痛いけど…、でもまぁ、そのうちに強くなるでしょう。頑張ろう。

そんな矢先。

さすがに少し疲れが出てきたかも、と感じてきた頃のことです。

ジャンプスクワットの着地が安定しなくなり、膝を痛めました。

一つ痛めると次々と連鎖が起こります。

(手と同じじゃあないですか)

腹筋のやり方がうまく行かなくて腰を痛め、背骨も痛くなり、股関節も痛くなり・・・。

どこかが痛くなっても、痛くない種目だけでもトレーニングを続けようとしましたが、やがてギブアップ。痛みや、極度の筋肉の張りが取れなくなってきて、とうとう休むことにしました。

2019年3月の終わりのことです。

その年はまた、リサイタルを秋に控えていました。

それなのに今度は、手の痛みだけでなく、体があちこち痛い。

そして、初めて経験する「背骨の痛み」には、少し怖くなりました。

4〜6月は毎月何らかの本番はあり、それらは何とか問題なく行えたのですが、その間、ずっと背骨は痛いままでした。

背中周りの筋肉をほぐせば背骨の痛みは解消されるだろうと思って、鍼やマッサージには行きましたが、長期的な改善は見られません。(背骨自体に問題がないことは、整形外科で確認)

4月以降、筋トレはほぼお休みしていました。時々、出来そうな気分の時だけ、ダンベルを持ってみたり、スクワットをしてみたり。

そして7月半ばのことです。

今日は出来そうかな、と思ったので、軽いダンベルを持って、肩のトレーニングをしてみたら、すぐに右肩に違和感を覚えました。

やめた方がいいな、と思ってやめましたが、その後も肩の痛みは消えません。

激痛ではありませんが、気になる痛み。楽器を弾くのが怖い痛み。

背骨の痛みもまだあります。

痛いだけでなく、日に日に背中全体の張りが強くなり、ほぐしてもストレッチをしても改善せず、とうとう楽器を構えた状態を5分続けるのも負担になってしまいました。

トレーニングを休止したのが3月末、そしてこの時点で7月半ば。

リサイタルは11月。この体は、よくなるのだろうか?

手の痛み、指の痛みが主な問題だった時を過ぎて、いつの間にか全身が思うように動かなくなってしまったのです。

何をするにも痛みを気にする毎日なのに、リサイタルなんて出来るわけがない。

これは、何か次の手を打たなければ。

切実にそう感じたのが、この時でした。

ただ、それまでも、整形外科や手の外科に何軒もかかり、鍼灸院、整骨院、マッサージを何軒も試し、筋トレも頑張りました。

次はどうすればいいのでしょうか。

・・・そう思った時、数か月前にSNS上で見かけた、ある言葉を思い出しました。

「鍼灸師は筋肉の外科医」

5.情報収集

「鍼灸師は筋肉の外科医」

という言葉と、

「肩こりラボ」がとても信頼できる治療院だ、という意見を、すでに私は、2019年の5月頃にインターネットで見つけていました。この意見は絶対に信用できると直感した私は、それを見た日、すぐに「肩こりラボ」を検索しました。

私はそれまでも、他人よりは鍼灸院情報にアンテナを張っていたと思うのですが、その名前を見るのは初めてでしたし、ウェブサイトにたどり着いた時も、それは、初めて見るページでした。

​・

さて、この日はまだ5月です。

でも、前章の終わり、お話は7月の半ばでしたね。

​・・・はい。

「肩こりラボ」を知った5月のこの日、私は、まだ予約をしようとは考えませんでした。

むしろ「ここに行くことはなさそう」と思ってパソコンを閉じました。

この情報は間違いなさそうな感じがするけれど、まぁ、私は行かないだろうな・・・と思った理由は、

  • それほど近くない(電車の乗り換えが必要)
  • 「肩こりラボ」という名前だけれど、私の主症状は「肩こり」でない(肩こりも当然あるけど、そこがメインじゃないよね)
  • ホームページ内の情報が多すぎて、どこを見たらよいか迷子になってしまう(その時点では、です)
  • 料金がちょっと予算オーバー

・・・というところだったでしょうか。

いつか行ってみたいな、とは思いつつも、まぁ行かないだろうな、と思ってから2か月が経ち、とうとう7月の半ば「どうにかしなければ」と思った時に、ここを思い出したわけです。「他に何も思いつかないし、仕方がない、とりあえず一度行ってみようか」と。

6.「肩こりラボ」へ行く

「肩こりラボ」にに問い合わせメールを送ると、とても丁寧な返信が来て、問い合わせから約10日後に訪ねることになりました。

「肩こりラボ」は、ホームページを見ていただくと分かりますが、「通っていただくためではなく、通う必要のないカラダになっていただく」という治療院なのだそうです。なので、治療には必ず「終わり」がある、と。

はじめにそれを読んだ時、「いやいやいや、そうは言っても」と思いました。

本当に「通わなくてもよい体」になれるのだったら、それは最高だと思うけれど、それが可能なら、肩こりの人がこの世からいなくなる?それはいくらなんでも…。

それに、その時の私の想いは「そうならなくてもいいから、とりあえず秋のリサイタルで弾けるようにして」ということでしたので、「通わなくてもよい体」云々は、とりあえず、あまり気にしないことにしました。

・・・

待ちに待った予約の日。

ホームページで見た通りの、お若い先生が登場。

その日のメインはカウンセリングでした。

一通りお話をして、体の動きやらを診ていただいて。

とりあえずの先生の「見立て」は、私の想像していた方向性とはそれ程変わらず、さらに専門的に踏み込んだ内容でした。

肩に関しては可動域がだいぶ狭くなっており、「本来真っ先に使われるべきインナーマッスルが使われない(使えない)状況になっていて、その分、本来はサブで使うべきアウターマッスルばかりで頑張ってしまう癖が付いており、従ってすぐに背中などが疲労して痛みに変わってしまう」というご意見。

長い間痛みをかばってきたことで、体の使い方が良くない方に変わってしまった、そして本来ついていた筋力が落ちている部分もあるだろう、と。

他にも色々とお話くださったと思いますが、全てが、とりあえず納得せざるを得ない内容でした。

さて、改善していくために、どうアプローチしていくか。

まずは疲労して固まっている筋肉をほぐしていって痛みを取ること、そして、眠っているインナーマッスルを使えるようにトレーニング(リハビリ)を並行していきます、と。

どれくらいで悩みの改善が感じられるか、どのくらいで「痛みを作らない体」になって、治療が「終わる」のか、というのは、個人差もあり、通う頻度にもよるので一概には言えませんが、早い人で、半年…とか。

ええ、もちろん。

半年で卒業できるなんて思っていませんでしたよ。

だって、3か月半後にはリサイタルがあるんですもの。そこを、なんとか乗り越えるだけで精一杯。精神的にも追い込まれるので、体が良い方向に向かうのはなかなか難しいのではないかな、と。

すでに書きましたが、その時の私には、治療を卒業出来るかどうかは、ほぼどうでも良くて(どうでも良いって事もないけど)、リサイタルまでの人生しか考えられませんでした。リサイタルが無事に終わった後も肩こりラボに通い続けるのか、なんてことは、まだ考えられなかったのです。

7.2019年のリサイタルまで

さて、とりあえず治療が始まりました。

それまで、結構な数の鍼灸師さんにお世話になったことがある私としては、やはり他の方と比較してしまったりするのですが、すごく上手だなぁ…と。

やはり私の直観どおり、信頼出来る情報源だったのだな、と思いました。

何度か通ううちに感じたのは、施術後の「ふわふわ感」。

帰り道の足取りが、ものすごく軽い。

それまでに感じたことのないほど。

​・

とはいえ、初めて伺った8月の頭からしばらくは、治療直後は良くてもまた悪くなったり、リハビリによって新たな痛みを作ってしまって回復が出来なかったりと、なかなか前進出来ない状況が続きました。次の予約はまだだけどSOS…ということも何度も。

後から聞くと「あの頃は本当に、いくらやっても体が変わってくれなかった」んですって。

(え、そうなの?そんなに?後から言わないでよ。いや、その時言われても困るか。)

​・

翌9月には小さな本番が数回あり、それは無事に終えることができました。

そして、このまま行けばどうにかリサイタル は切り抜けられるかな、と思い始めていた、10月の終わりのこと。

あるリハーサルに参加したところ、その場では楽しく弾けたのですが、次の日から急に腕が怠くなり動かなくなってしまいました。(また、ですね)

リサイタルまで、1ヶ月を切ったところで、まさかの緊急事態・・・とパニックになりました。

ラボの先生に相談のメール。「とにかく不安なので、リサイタル当日に楽屋入りしていただけませんか」とお願いしました。

当日来て頂ける、と決まり、精神的に少し落ち着き、本番までの1ヶ月間は、腕にもたくさん鍼を打ってもらいました。

腕や手は、演奏家としては、必要がなければ鍼なんて打ちたくない場所です。鍼のせいで悪化してしまったヴァイオリニストの話も聞いたことがあります。肩こりラボでも、初めから腕に鍼を打っていたわけではありませんでしたが、ここに来て、腕の鍼は必須となりました。

​・

正直、あの1ヶ月間のことはあまりよく思い出せません。毎日泣いていたことは確か。

普段、何があっても本番だけは上手くいく自信がありましたが、この時ばかりは、不安しかありませんでした。でも、先生に楽屋まで来ていただいて、それでも上手くいかないってことは絶対にないだろう、と言い聞かせる。

少しずつ少しずつ、いつもよりも期間をかけて練習してきたので、当日に体さえ動けば、演奏の内容には不安はありませんでした。共演者も素晴らしい方だったし、本来なら本番が楽しみになるような状況だったのです。

本当に、腕がちゃんと最後まで動くのか。楽器を持ち続けられるか。それだけ。

公演当日。

リハーサル、そして本番。

沢山の人の助けを借りながら、

沢山の人の想いを背負いながら、

この状況で、自分のすべてを出せるように、集中しました。

実は、このリサイタルの前の回、2017年の時のスピーチで、私は、いつも言う「これからも応援よろしくお願いします」という言葉を言うことが出来ていませんでした。

このまま弾き続けられるのかどうか、すでに悩んでいたから。

でも今回は逆に、「こんなに辛いのは初めてだし、もう嫌だ」と思いました。

治療家さんに楽屋入りしてもらわないと弾けないなんて、こんな状態は、私史上前代未聞だし、もう終わりにしなければいけない。

そんな思いから、今回のスピーチでは、未来を想像しました。

「これからも、よりよい音楽を奏でられるように、精一杯頑張ってまいります。どうか、応援をよろしくお願いいたします」

言うしかなかった。

そして、「絶対にパワーアップして舞台に戻ってくる」と決意しました。

そしてそのために、「引き続き肩こりラボに通って頑張ろう」と、やっと思えたのでした。

8.2019年12月

リサイタルが終わって、12月からはリハビリのプログラムを一新し、まずは肩回りの改善にフォーカスしていきました。

リサイタル以前は、リハビリも、一生懸命やると新たな痛みを生んでしまって(そこまでは良くある事だけれど)、そこからなかなか回復が出来なかったのですが、12月に入ると、リハビリも少しは順調に行くようになりました。

治療の方も、「いくらやっても体が変わってくれなかった」時を脱したようで、少しずつ、よい反応が出てくるようになったようです。楽器を持つだけで辛かった背中も、いつの間にか気にならなくなりました。

肩や背中が改善してくると、長年の問題だった手指の痛みが浮き出てきます。

本格的に手指に向き合う時がきました。

どんな時に、どの指が、どんな風に痛くなるのか。

日常生活で痛いのか、弾くと痛くなるのか、弾いている間に痛いのか、弾いている時は大丈夫で終わってから悪化するのか…。

痛みと言っても、なにが、どこが問題なのか。

痛みの出る個所がいくつもあった私は、その部位ごとに検証しなければなりません。

例えば、両親指のMP関節、左人差し指、両手首。数年間に渡ってA、B両先生に繰り返し注射をしてもらっていた部位が、少なくともこれだけありました。

その、一つ一つを検証し、原因を探り、解決方法を見つけ出していきます。

​・

肩こりラボは、単に鍼やマッサージの技術が上手い、知識量がすごい、などというだけではなく、どうしたらその人が望む水準に体を持っていけるのかを、本当に真剣に向き合いながら考えてくれます。

その姿勢に動かされ、私も、頑張ろう、という思いが一層強くなるのです。

日常生活を送るのに支障がないだけではなく、ヴァイオリニストとして「このレベルの演奏をしたい」という私のイメージを実現するために、体のどの機能をどれだけ回復させ、そしてどのくらいレベルアップさせていくことが必要か・・・。

さて、肩のリハビリが軌道に乗り、背中も楽になり、いよいよ指、となった時、指も順調に行くかな…と期待したのは言うまでもありません。

しかし、ここからが私の、本当の試練となっていきます。

9.2020年

2020年の初め。

これからどんどんリハビリを進めて、万全の態勢作りをしようと思っていました。時間は充分にある、と。

ラボでは、弾く動作や姿勢を細かく見てもらい、自分でも、考えずにやっていた演奏動作を分析してみるなど、体の各部位の動かし方や役目について、考える日々。

しかし、順調に行くかと思っていた手指のリハビリは、何度となく中断されてしまうことになります。

1月、左人差し指腫れ腫れ事件。

2月、右親指腫れ腫れ事件。

3月、お皿事件(左前腕を痛める)。

5月、右腕事件。

理由がきちんと分かっている事件もあれば、確かな理由が結局分からないのに、腫れてしまったり、痛くて動かせない程になってしまった事件もあります。

この頃世の中は、新型コロナウィルスの感染拡大により、ものすごいスピードで不安が漂っていきました。世界中の音楽家達が活動の場を失い、一気に途方に暮れました。

私も、決まっていたコンサートが延期や中止になりました。(手指の状態を考えると、延期にならなければどうなっていたか、そちらの方が恐ろしいのですが)

最初に「延期」が決定したのは2月半ばで、まだその頃は、「世の中がストップしなければならないこの期間に、私はリハビリをして元通りに弾けるようになるし、さらに強くなって復帰に備えられる」と前向きに思っていました。

しかし、いつまで経っても痛み無くならないどころか、3月~5月は、完全に楽器に触ることも出来ないくらいの状況になり、

その間、平行して行う予定だった体幹のリハビリやトレーニングも、始めることが出来ず、コロナと同時に、完全なる停滞期間となってしまったのです。

これから回復しようとしていた時に、逆に弾けなくなるなんて、予想もしませんでした。

コロナのせいのストレスもありましたが、逆に、コロナ禍が過ぎた時に自分がどの程度回復出来ているのか、もしかして回復出来ていないのかも?と考えることが、不安で益々苦しくなるような時期でした。

そんな中でも、私はつくづく幸運なのだと思える出来事も、たくさんありました。

幸い、演奏がなくなっても教える仕事は続きます。生徒さんなどとの新たな出会いもあり、リモート環境での新たな挑戦も出来ました。全てが止まったわけではなかったのです。

が、そうは言っても、一向に弾けるようにならない状況に、2019年のリサイタル前と同じくらい、また、毎日泣く日々となりました。

やっと少し事態が動き出したのは6月中旬。5分くらいずつ、リハビリとして弾くことを始められたのです。

ちょうど良いタイミングで、短い本番のお仕事もいただきました。

目標があると頑張れるものです。

コロナ禍に音楽を聴きたいと思っていただけることも、励みになりました。

7月、5~10分。

8月9月、15~20分。

10月11月、30分前後。

12月、40分前後。

これが、「バイオリンを弾く」というリハビリで、一日に弾くことが出来たおおよその時間です。

演奏家は、通常のホールでのコンサートの場合、賞味1時間半前後の演奏をします。

しかし、それは本番の時間のみです。

コンサート当日は、その前に最終リハーサルがあり、全プログラムを通して弾くことも多いです。

それに加え、当日の前に何日間かのリハーサルが行われます。一回平均3~4時間でしょうか。例えばリハーサルが3日間行われ、当日を迎える場合、4日間、平均3~4時間、弾き続ける体力および筋力が最低限必要です。

それを目標にやっていて、2020年12月の時点で、一日たったの40分。

学生時代は、少なくとも毎日4時間は普通に練習していたのに、です。

このギャップをどうやって埋めていくか。

2021年の11月には、すでに次のリサイタルを予定して、会場を押さえてあります。

2019年の時よりは良い状態になれるだろうけれど、どのくらい、自分の思い通りの準備が出来るのか。

期待や予想ほどには、よくならないのではないか・・・。

日が経つごとに、不安が膨らんでいった2020年でした。

10.2021年から、未来へ

リハビリの進捗に関係なく、容赦なく時間は進んでいきましたが、

2020年の後半あたりから、クローズドな会で演奏をする機会を少しずつ頂き、「本番」というリハビリも、徐々にさせて頂きました。

そして2021年7月、久しぶりの公開コンサートで、これまた久しぶりの「室内楽」を演奏する機会に恵まれました。

(3人以上の少人数アンサンブルを室内楽と言います。編成的には、ソロ→室内楽→アンサンブル→小オーケストラ→大オーケストラ、という順で、人数が多くなります)

室内楽というのは、一番人との繋がりを密に、深く、感じられる演奏形態です。

人と一緒に室内楽を弾くということは、コロナ禍で非常に欲していたことの一つで、久しぶりに「音楽をしている」と思えました。

10月には、思いがけず紀尾井ホールという大きな舞台で弾かせていただく機会もあり、秋にはちょうどコロナも少し落ち着いてきて、イベントが続くという、久々の嬉しい悲鳴もありました。

連続して弾ける時間は順調に増え、時折痛みを発症することはあるけれど、「弾いているのだから仕方ない。そして弾き続けなければ戻らない」と考えられるようになってきました。

リハビリのフェーズも、これまでにない度合いで上がっていくのを感じました。

例えばスポーツ選手は、どんなにトレーニングを積んでいても、怪我をすることがあります。怪我からの回復時の調整とトレーニングは、一番気を使うところではないでしょうか。

痛いからと言って必要以上に休んでしまったら、選手生命の危機となるでしょう。

私は、それをしてしまったようです。

音楽家も、怪我や痛みからの回復には、適確な対応が必要としみじみ感じます。

2021年11月。2年振りのリサイタル。

コロナ禍でコンサートを自粛していらした方も多く、「久しぶりに生演奏を」と、沢山の方がいらしてくださいました。

ラボの先生には、今回も楽屋に寄っていただきましたが、それはもう「満身創痍だから」ではありません。より良いパフォーマンスをするために、必要なことをする。

必要であり、それが許される場であれば、楽屋に誰がいてもよいではないか、と、考えを改めました。

どんなに体の状態がよくても、やはり本番後は「もっとこうすればよかった」「もっと上手に弾けたはず」という思いは残りますが、今回は久しぶりに「やり切った」と思えるリサイタルとなり、演奏できる喜びを嚙み締めた日となりました。

年齢とともに体は衰えるわけですが、私は、痛みが続くことにより極度に弱ってしまっていた体を、鍛えなおしています。

放っておいたら、おそらく本当に弾けなくなってしまったであろう体を、だんだんと建て直してきました。

どこまでいけば「元通りになった」と言えるのかは、わかりません。

なぜなら、すでに、今の理想は過去を超えているから。

元通りになっていたとしても、それは単なる通過点でしかないのです。

「過去の自分と同じように弾けるようになる」ことから、

「過去の自分を超える」に、目標が変わりました。

長い間、「再び出来るようになる」とは思っていなかったことが出来てきて、今は、色々な可能性が目の前に広がってきていることを、久しぶりに実感しています。

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フリーで演奏活動をしてきた私は、留学から帰国した当初はもちろん仕事がありませんでしたし、その後、仕事をいただけるようになってからも、月単位で本番が無いこともありました。本番がない時も毎日練習していたか?というと、そうでもありませんでした。アスリートなら考えられないことです。

頭では、それはまずい、と分かっていても、こうなってしまいました。 後に、教える仕事が増えてからは、忙しいのを理由に、練習時間は減ったままでした。

「音楽家の人たちって、一日中楽器を弾いているんでしょう? いいわねぇ」

と、音楽家でない人たちから言われることがあります。

実際は、そうではありません。

「弾く」以外の仕事が多い場合、仕事の合間に練習をします。

「弾く」仕事の割合が多い方の場合、それでも、「自分の練習」が出来る時間は限られてしまいますし、「弾く仕事」+「自分の練習」で、それこそ一日中弾いていたら、故障してしまう確率が高くなります。 どうやって時間や体調をやりくりして練習を続けていくかが、本当に重要です。

ここまで私を導いてくれた、ラボの先生はもちろんですが、見守ってくだれた家族や、苦しい間ずっと応援を続けてくれていた方々、すべての方のお陰で、今私は歩けています。

よりよい音楽活動をしていくことが、恩返しになると信じて、これからも邁進していきたいと思っております。

ここまでのお話を読んでくださった皆様、長文を我慢してくださり、ありがとうございました。

これからも、より皆様の心に届く音楽を奏でていけるように、頑張っていきたいと思います。

​どうか、小林倫子をよろしくお願いいたします。

2022年1月 

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