その19 ピエール・ブーレーズ氏の思い出

イギリス留学中、大学院に在籍していた頃のある日。

ヴァイオリンの先生から突然、あるオーケストラのヨーロッパツアーの仕事を紹介されました。 ドイツを本拠地とするアンサンブル・モデルン Ensenble Modern という団体の、オーケストラでした

https://www.ensemble-modern.com/en/ensemble_modern/em_orchestra

アンサンブル・モデルンに所属する演奏家は20名ほどと少なく、もっぱら現代音楽ばかりを演奏するグループですが、定期的に大編成のオーケストラも行っていて、その時には、世界中から管弦楽器奏者がエキストラとして集められます。そこに、私も入れてもらったのです。 当初私は、そのツアーと同じ時期に開催される「ウィニアフスキ国際音楽コンクール」(ポーランド)に参加しようと、すで申し込み、準備をしていました。 ですから本来ならば、ツアーの話は断らなければならなかったのですが、 私にとって、「プロフェッショナルとしてツアーに参加してお金をもらう」という事はとても魅力的に聞こえたのです。 コンクールは、また別のものに申し込んで受けられるけれど、このような仕事は、話が来た時にしかチャンスはありません。 …という訳で私は、ツアー参加を決めてしまいました。

でも、コンクールにも行きました。第一次予選だけ演奏して、合格か不合格かも分からないうちに、ツアーへ出発しなければなりませんでしたが、一応申し込んでしまったので、一次予選だけでも良いから弾いて来よう、と思いました。まだ行ったことがなかったポーランドに行ってみたかった、というのも大きな理由です。 結果、第一次予選は通過したのですが、それが分かったのは、ツアーの練習が始まった後。そこはもう、ドイツのバーデンバーデンでした。 さて、初めてのお仕事はとても楽しく、たくさんの刺激で充実の日々でした。 先々のホテルで1人部屋もらえたのも、学生の旅行とは違っていて嬉しかった。一人前になったような気がしたものです。 初め、オーケストラの指揮者は、なんとドイツ語でリハーサルを始めました。 考えてみたら、ドイツの団体でドイツ語圏を廻るツアーなのですから当然なのですが、私を含め、きっと多くの人が、それは想定外でした。

それまでの事務的なやり取りは全て英語だったし、各地から集まったエキストラは、ドイツ語が解らない人も多くいました。 私は少しは解ったけれど、私の隣のスペイン人の子はチンプンカンプン。なので、私だってうっすらとしか解らないのに、通訳しなきゃいけない状況に。

もう、まったく仕事になりません・・・パニック!

最初の休憩まではそんな状態が続きました。この後2週間、一体どうなるんだろう!?と思っていたら… 指揮者さん、休憩後は英語にチェンジ。 誰かが進言してくれたようです。 そりゃあそうです、この指揮者さんは何ヶ国語も出来る凄い人なのです・・・あぁよかった。 その方が、かの有名なピエール・ブーレーズ氏でした。 私は、もちろん名前は知っていましたが、とにかく雲の上の人なので、それ以外あまり知識もなく。演奏を聴いたことも、それまでありませんでした。 厳しくて恐そう。絶対に間違えたりしない完璧な人だというのが最初の印象でした。 大きなオーケストラの中にいたので、ツアー中に、その巨匠と直にお話する機会は、ほとんど無かったと思います。 でも、厳しい中に温かさのある眼差し、演奏する際の集中力、そしてリハーサルでの説得力など、思い出すとその存在の大きさを今でも感じられます。

このような体験が出来たことを今更ながらに幸せに思うのです。

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もし、この仕事を断ってコンクールを優先していたら、私の人生は少し違っていたかもしれません。 実際、数日間で切り上げなくてはならなかったポーランド滞在は、素晴らしいものでした。

2つは選べない。ひとつしか、選べない。

人間は、長い人生の間に、何度となく選択をしていきます。 あの時こうすれば、ああすれば良かった…と、後から考える事がたくさん出てきます。

そんな風に振り返って、「もしも」の人生を考えるのは、無駄なことでしょうか? そうは思いません。

「もしも」の人生よりも、良いと思える人生を生きるために。

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今月始め、世界的巨匠、ピエール・ブーレーズ氏が、ご逝去され、音楽界の重要な人物が、また1人、あちらへ行ってしまいました。 ご冥福をお祈りいたします。

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