20代の頃は、ヨーロッパの数々のコンクールに出場しました。
なかなか入賞することは難しかったですが、コンクールを受けるという口実で、色々な国に行って、各国の文化や空気を体験し、そして世界中から集まるヴァイオリニストと交流出来たことは、私の財産になっています。
ある年、私はポーランドのコンクールに出場しました。
そのコンクールの審査員の中には、私の日本の母校の先生がいらっしゃいました。
その先生は、私のことを覚えていてくださって、ある日、夕食をご一緒させていただくことになりました。(コンクール出場者と審査員は、皆同じホテルに泊まっていました。審査員との接触も特に禁止されてはいませんでした)
挨拶程度しかしたことがない大先生と向かい合ってのお食事は、とても緊張しましたが、卒業してから数年経っていて、留学中だったので、お話することは沢山ありました。
自然に「それで、この先、君はどうするの?卒業したら帰国するの?」
という話になりました。
私は、出来るだけ長くヨーロッパにいたいけれど、仕事を見つけられない限りは帰国するしかないし、そうなったら嫌だな、どうしよう・・・と先のことが不安な時期でした。
すると大先生・・・
「音楽のことだけを第一に考えればね、そりゃあ、ヨーロッパにずっと住んでいた方がいいよ。
僕だってそうしたかった。
でもね、人生って、音楽のことだけではないからね・・・」
その先生はとても偉い人だったので、私は勝手に、人生ほぼ思い通りになった人なんだろうなぁ・・・などと思っていました。(まぁ、そんなわけないか)
でも、その言葉の陰に見えたのは、「ヨーロッパへの憧れ」。
「ヨーロッパに住んでいられたら、違う人生になっただろうなぁ」と。
すべてを手に入れたかに思えるような大先生が、そんな風にお話になる姿がとても印象的で、忘れられない会話となりました。
私は、留学を終えて帰国しなければならない状況は、負けだと、どこかで思っていたのです。
本当はヨーロッパに住みたいのに、その手段を見つけられずに帰国したら、私はこの先どうやって生きて行くのだろう?世間からどう見られるんだろう?という気持ちでした。
でも、帰国する理由も、しない理由も、人それぞれなんだ・・・ということに、その会話で気付いたのです。
ヨーロッパに住んでいた方が成功者とか、帰国したら負けだとか、そんなことはないんだ、と、当たり前のことに気づかせてくれました。
ご一緒させていただいたお食事は、ポーランドの名物、ピエロギだったような気がします。
広々としたレストランの光景が、今も思い出されます。
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