その36 「ピアニッシモ」の神様

その36 「ピアニッシモ」の神様

まず、こちらをお読みください。私が2012年4月に書いた、ブログ記事です。

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我が家の昔からの知人で、とても「ジェントルマン」な方がいらっしゃいます。
イギリス風の粋なファッションで、芸術に造詣が深い、素敵な方。
長い間、病気と闘っておられます。

何度か私のコンサートにも来て下さっており、

2010年、ゴードン・バック氏とのリサイタルの時は、直前まで「体調が予測出来ないので、お約束は出来ないのです…」という状況でしたが、当日、足を運んでくださり、感激でした。
今回は、ご案内をお送りしたところ、「最近は体調が思わしくないので、諦めざるをえません」というお返事でした。

このお手紙を戴いた後、私のせめてもの想いを届けるため、2010年の、かのリサイタルのライブ録音をプレゼントさせて頂きました。

そして、そのお返事がまた、届きました。
字を書くことが困難なジェントルマン氏からの手紙は、短くパソコンで。(しかし宛名書きとサインは自筆)
その最後に、
「早くよくなってもう一度貴女のピアニッシモが聞けたらと思います」


涙が、とまりません。

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さて。

「ピアニッシモ」という言葉ですが、聴き馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんね。

音楽の用語で、「ピアノ」→静かに(弱い音で)弾く、という意味の、最上級が「ピアニッシモ」です。

要するに、「とても小さい音」という意味です。

逆に、大きな音は「フォルテ」「フォルテッシモ」となります。

この「ジェントルマン」氏が仰ったのは、「あなたのピアニッシモ(弱音)が素晴らしかったから、また聴きたい」という意味でした。

私は、その時まで「弱音が素敵」という褒められ方をしたことがなかったので、少し驚いたのですが、これは、私にとっては最高の褒め言葉でした。

なぜなら、

①大きな音を出せば、人の耳に届きやすく、そして、その音の中にある「表現」も、比較的届きやすいと言えます。

でも、「小さな音」なのに、「すごく聴き入ってしまった」とか、「ハッとさせられた」とか、「うっとりしてしまった」等・・・なんでも良いのですが、「人の心に残る音を出せた」ということは、それだけ、私の表現力が高かった、と言えるのではないでしょうか?

②「小さな音」ばかり出していては、大きいも小さいも無くなってしまいます。

大きな音があってこそ、「あ、ここは特に小さい音だな」という風に聴こえるわけです。

要するに、強弱のコントラストが充分に出せていた、ということになります。

「小さな音」を褒められたということは、全体のバランスも良かった、ということだと解釈します。(少なくとも、私は)

以上の2つの理由のため、私にとっては最高の褒め言葉だなぁ、と思いました。

「ジェントルマン」氏の、この言葉を読んだ瞬間から、私の「目指すもの」が鮮明になったような気がしました。

それ以来、また「ピアニッシモ」を褒められたいたな、と思って、ずっと鍛錬しております。

その後も何度か、他の方に、同じようなことを言われることがあり、そのたびに励みになっていますが、いつも、言われるわけではありません。

曲によっては、それほど弱音が特徴的に出てこない曲もあります。

曲や、シチュエーション、その日の表現など、色々な条件が整った時に出る、特別な「ピアニッシモ」なのです。

さて、ここに登場する「ジェントルマン」氏は、その後もずっと体調が悪かったわけではなく、調子がよくなって、またリサイタルに来てくださったこともあったのですが、

昨年(2022年)、帰らぬ人となりました。

また「ピアニッシモ」を聴いていただきたかった、と、すごく思います。

これからは「ピアニッシモの神様」となり、天国から、私のことを見守ってくださるのではないかと、勝手に、想像しております。

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