その54 イギリスの作曲家たち ハウエルズとフィンジ ~グロスターを中心に~
18世紀後半~19世紀前半にかけての、イギリスの作曲家を調べていると、「グロスター」という地名に出会うことが極めて多いことに気が付きます。
グロスターとその周辺は、たくさんの作曲家を輩出した土地でもあり、また、イギリスの他の地域出身の音楽家達も、その地域と関わる理由がありました。
2023年11月、第9回を迎える「小林倫子ヴァイオリン・リサイタル」では、このグロスターと深く関わりのある2人の作曲家の作品を演奏します。
ハーバート・ハウエルズ(1892~1983)Herbert Howells
3つの小品 作品28より、「パストラーレ」
ハウエルズは、イギリスのグロスターシャー州出身の作曲家、オルガニストです。
早くから才能を表したハウエルズは、グロスターで学んだ後、ロンドンの王立音楽大学に入学し、スタンフォード等に師事しました。1935年に息子を亡くした後は、次第に宗教音楽作品(管弦楽や合唱付き作品)が多くなり、ヴァイオリンがメインの曲はそれほど多くないのですが、小林倫子は、2004年のデビューリサイタルにおいて、ハウエルズのヴァイオリン・ソナタを日本初演しています。
少し先輩のイギリス人作曲家ヴォーン・ウィリアムズらの後を追い、ハウエルズは、古い教会音楽のスタイルや、イギリスの民謡に影響を受けています。
この「パストラーレ」も、民謡風のメロディーを主体とした素朴な音楽で、後半はピアノがメロディーを奏でていきます。
ジェラルド・フィンジ (1901~1956)Gerald Finzi
エレジー(哀歌) 作品22
イギリス、ロンドン生まれ、ユダヤ系の作曲家です。一番多く作曲したのは合唱曲ですが、代表作にはチェロ協奏曲などもあります。
7歳で父を亡くし、その後も恩師や兄弟達を亡くすという不幸に見舞われています。10代の後半はヨークシャー州(イングランド北部)で育ち、その後グロスターシャー州(南西部)に住み、24歳の時でロンドンに戻ってきました。
そこでは、イギリスの音楽界を代表する作曲家であるホルストやヴォーン・ウィリアムズらとも交流し、王立音楽アカデミー講師に短期間就きましたが、ロンドンという都市に馴染むことはなく、結婚後はバークシャー州(同南東部)に落ち着きました。
作曲活動と、アマチュア弦楽合奏団の指揮活動、そして、園芸家としてリンゴの栽培と研究に没頭したそうです。また、先駆者ヴォーン・ウィリアムズの後を追うように、イングランドの民謡や、イギリスの古い作曲家の作品を研究・出版しました。
1949年頃までには、後述の「三教区音楽祭」において、フィンジの作品を頻繁に上演されるようになり、名声も上がってきましたが、51年にホジキンリンパ腫に罹り、長くてもあと10年しか生きられないとの宣告。そして56年、ヴォーン・ウィリアムズとともにグロスター近郊を周遊した後、体調を崩したのをきっかけに死去。自身の作曲したチェロ協奏曲の初演をラジオで聴いた翌日とのことでした。
ユダヤ系ながらも、同世代では最もイギリス的な作曲家のひとりと言われています。 小林倫子がフィンジ作品を演奏するのは、昨年の弦楽三重奏曲に続いて2回目です。美しいメロディーの中に、なんとも言えない切なさを湛える作風に、魅了されています。
世界最古の音楽祭
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イングランド南西部に位置するグロスター(Gloucester)、そして隣接するウースター(Worcester)、ヘレフォード(Hereford)の3都市では、世界最古の音楽祭のひとつと言われ、300年以上続く「3教区音楽祭(Three Choirs Festival)」が、毎年持ち回りで開催されています。この伝統的な音楽祭を支える文化的土壌があるためか、この地域は多数の作曲家を輩出しています。また、他の地域出身の作曲家にとっては、この音楽祭で自分の作品を発表することが憧れでもあります。
イギリスの最も代表的な作曲家である、エドワード・エルガー、ヴォーン・ウィリアムズをはじめ、ウィリアム・ウォルトン、ホルスト、ブリテン等、あらゆる作曲家の作品がこの地で演奏されてきました。また、ヨーロッパ大陸からはドヴォルジャークが1884年に招かれ、自作を指揮しました。
元々、地元の大聖堂で、その地の聖歌隊を主体としたメンバーで演奏会を行ってきたこともあり、ヘンデルの「メサイア」や、メンデルスゾーンの「エリヤ」など、大規模な合唱付きオーケストラ曲が定番曲となってきた歴史があります。
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